ライフシアター 全曲解説
今日スリランカ大使館にビザをとりにいく時あらためて聴き直した。
「ぶふぉっ、ぶふぉっ、ぶふぉっ…」と、
満員電車のなかオレだけ涙と鼻水垂れ流し状態だ。
「ああ、あの人は母を911、父を311、妹を三宅島の大噴火、猫をイスラム国テロ、犬をマレーシア機失踪事件で同時に亡くしたんだ」と思われただろう。
危険だ。
今回のアルバムはやばい!
自分で作った本人がこのパニック状態に叩き落とされるのだから、きみは途轍もないパニック地獄でのたうつことになる。
※取扱注意マニュアル
絶対、電車で聴かないように。(救急車を呼ばれる)
絶対、仕事中や授業中に聴かないように。(教科書や書類が濡れてしわしわになる)
絶対、電気工事中に聴かないように。(涙と鼻水で通電してしまう)
絶対、安定を目指してる人は聴かないように。(一度聴いてしまえば、人生が変わってしまう!)
人生や世界をひとつの演劇としてみる「ライフシアター」という世界観は、
先住民たちが創りあげ、何万年ものあいだ面伝(口承)で伝えてきた智慧だ。
オレは世界中でさまざまな民族の世界観に触れてきたが、「ライフシアター」という世界観ほど強力な「サバイバルアーム」(生き残るための武器)はない。
「人生の90%は苦しみだ」というのならば、その苦しみを喜びに変えてしまう。
「人生は無意味だ」というならば、すべてに意味を見つけられる。
「世界を変えられない」というならば、今この瞬間もあなたが世界を創っている創造主(=神)だと気づかされてしまう。
「あなたは価値のない人間だ」というならば、あなたは神聖な私の命という。
天地が逆さまにひっくり返るような魔法なのだ。
「ライフシアター」というサバイバルアームを持っている人と、持っていない人の人生はあまりにもちがってしまう。
きみはそれを知るのか、
知らないのか、
自分で選びなさい。――― 歌詞ページはこちら ―――
1. ライフシアター
ブッダは「すべては空(くう)である」と言った。
大品般若経では「空」を「諸法は幻の如く、焔(陽炎)の如く、水中の月の如く、虚空の如く、響の如く、ガンダルヴァの城の如く、夢の如く、影の如く、鏡中の像の如く、化(変化)の如し」と言い、般若心経は「色即是空・空即是色」(形の本体は空であり、空は形をともなう)と言った。
宮沢賢治は「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」と言い、映画「マトリックス」は仮想現実を描き、我々は誰か(神)の見ている夢の中に生きているのかもしれないという裏テーマを示した。バーチャルリアリティー(仮想現実)というと、あまり響きが良くない。これを現実逃避の言い訳にする人が多いからだ。
しかし逆に使うこともできる。
上杉謙信が言ったように、人生は一睡の夢だからこそ、今この一瞬を全身全霊で生きていこうとなる。さらにこれを一歩進めると、人生の深い摂理が見えてくる。倫理研究所を創設した丸山敏雄は 「人生は神の演劇、その主役は己自身である」と言う。
オレには世界が芝居に見える。この世で起こっていることはすべて、オレたちの魂を成長させるための演劇なんだと。
神に依存するのではなく、脚本も演出も主演もすべて自分だ。それは自分の運命を100%信頼し、自分の人生に100%責任を持つことにつながる。人生で出会う人々も生まれる前に約束してきたソウルメイトだと思えば、その人の演技の後ろに隠された深い意味も見えてくる。
だって君の舞台に出演してくれるすごい俳優たちは、ぜんぶノーギャラでいろんなことをしでかしてくれるんだよ。とくに悪役という損な役割を演じてくれる人々は、ストーリーを盛り上げるのに絶対必要な存在だ。ラブ&ピースだけの劇なんて退屈すぎる。そう思えば君と出会うすべての人に感謝の気持ちが湧いてくる。悪役だけじゃなく、悪いできごとも重要だ。不幸や試練こそが君の魂を成長させてくれる最高の教師である。
だってこの演劇の目的は、「ハッピーエンド(幸せになる)」じゃなく、魂を成長させる「成長物語」だから。
名作と呼ばれるほとんどの文学作品は成長物語というスタイルをとっている。セルバンテスの「ドン・キホーテ」、ダンテの「神曲」、マークトウェインの「ハックルベリーの冒険」、ヘミングウェイの「老人と海」、ディケンズの「オリバーツイスト」など無数にある。オレの「COTTON100%」をはじめ、すべての作品も成長物語だ。つーかオレたちの魂の法則(システム)自体が成長物語なんで、それにのっとった本が名作と呼ばれるのは当然だ。成長するために自ら苦しみを選んで生まれてくる魂がある。彼らはとっくに輪廻学校を卒業したのにわざわざ教師として派遣されるグレートスピリットだから。彼らには大きな畏敬の念を感じる。
このような世界観は世界中の先住民が何百万年もかけてつちかってきた実践科学だ。ソクラテスやニーチェやサルトルなどの哲学者が束になってかかっても先住民の世界観を超えることはできない。なぜならそれは我々の無意識に刷り込まれている個を超えた(トランスパーソナルな)世界観であり、万人が幸せになるために編み出された世界最強の思想だからだ。これが真実だろうが、嘘だろうが、どうでもいい。ひとりひとりが自分を幸せにする世界観を選び取ればいい。
前置きが長くなったが、「ライフシアター」は、ミディアムテンポのラップバラード。つぎのアルバムの核になる曲ができたって感じだ。
2. Idiot
今までの曲は自分自身のことを描いた曲が多かった。ところが今回のアルバムから他人の人生に焦点をあててつくっている曲が多い。その中のひとつの曲だ。Idiot(イディオット)というのは、英語でアホとかバカという意味で、ドストエフスキーの「白痴」も英語タイトルは「Idiot」である。
たとえば好きで好きでたまらない恋人にむかって「あんたってほんとばかなんだから♪」とか「わたしのかわいいおバカちゃん♪」というときにもIdiotということばがつかわれる。
ぼくたちの周りにいる御人好しな人で風采の上がらない人や、他人からバカにされるような人たち、その人たちこそが実は大切なことを教えてくれているのではないかと思う。
曲は軽快なアップテンポのさわやかロックになった。
3. Dress
これはオレが作ったエンジェルのドレスという童話をもとにした曲である。これもライフシアターという考え方に直結した考え方となっている。オレたちはみな、生まれる前に自分で人生を計画し、その計画に適した親を選び、最後にその人生にいちばんピッタリな衣装を選ぶ。つまりこれは肉体のこと。
いくつかの部屋には、可愛い衣装、美しい衣装、スポーツの得意な衣装やら、ちからのつよい衣装やら、いろんな衣装がかかっている。この地球に生まれる前にそれを試着しながら自分の服を選ぶ。ところがいちばん奥の部屋にはひとつだけカギがかかった扉がある。その扉の向こうにあるのはエンジェルのドレスとよばれる衣装。それは新入りの魂では着ることができない。何度も何度も舞台を終えてきたベテラン俳優だけが着ることができる。その衣装というのは自分のためではなく、ひとびとに愛を与えるために着る衣装なんだ。それが障がいをもった身体。彼らは大ベテラン俳優だから多少の苦労には物怖じしない。この世に降りると障がいをもった赤ちゃんとして生まれ育ち、まわりのお父さんや特にお母さんは苦労をする。その苦労は障がいそのものよりも、世間の無理解に対してである。
たとえば障がいをもっている子は「社会的弱者」とか「かわいそうな子」とか、「同情しなくちゃいけない子」とか、不幸の中にしか住めないようなレッテルを張られてしまう。
ところがこのエンジェルのドレスというのは、身体が動けなくてもたくさんのメッセージを届けたり、人と人を繋ぐ衣装であるのだ。
周りの人にたくさんの気付きを与え、周りの人の魂も進化させていく。そういう存在。それがエンジェルのドレスを着た人々なのだ。
4. ウニヒピリ
ハワイの先住民たちが伝統的に引き継いできたホ・オポノポノというシャーマンの伝統がある。それによるとウニヒピリというのは大きくいえば無意識そのもののことを指す。人間は顕在意識4%無意識96%で構成されているといわれている。もしくはインナーチャイルド。自分の内側に住んでいるもうひとりの自分。内なる子どもだ。それをハワイではウニヒピリと呼ぶ。
誰もがそのウニヒピリという存在を抱えており、子どもの頃は自分の内側にいるウニヒピリと遊んでいたが、成長するにつれ社会的に生きるにはウニヒピリが邪魔になってきてしまう。そして思春期の頃には内なる子どもを無視し始めてしまう。だんだん忘れ去り、あたかもそんな存在が居なかったかのように大人になってしまう。だが、ウニヒピリというのはその人の核となる部分を作ってくれる大切な存在なんだ。その存在を忘れてしまうと、たとえ大金持ちになったとしても心の中に空虚感があったり、人をなかなか信じることができなかったり、自分自身を好きになれなかったり、自分のやってる行動に自信が持てなかったり、人間関係を築くことが難しかったり、いろんなところに表れてくる。
原因は何かと探っていくと、ウニヒピリを見捨てていたことに気付く。そのウニヒピリは社会的に生きていくには邪魔な存在かもしれないが、実はその人が本当の自分に還るため、人間らしい生き方をするためにはもっとも必要なコアなものなんだ。もう一度ウニヒピリと意識的に和解することにより、その人は本当の自分を取り戻していく。そして社会的な存在の自分とウニヒピリが和解していく。そうすると統合された人格として、どこの世界に行っても自分自身でいられるようになる。この曲は、静かな瞑想的な曲なのでヒーリングに使える。この歌が深く響くようになってきたら号泣するだろう。その時には涙をとめず、思いっきり泣くこと。何度も聴きかえし号泣することで、あなたの中に住むもうひとりの子ども、ウニヒピリと和解していくことができるかも。
5. これが最後と知っていたなら
「If I knew it would be the last time」(これが最後と知っていたなら)ではじまる「Tomorrow Never Comes」(決して明日はこない)という詩がNYで起きた911テロの追悼集会で朗読された。「911テロで亡くなった若い消防士が生前に書き残した詩」といわれていたが、作者はノーマ・コーネット・マレック(Norma Cornett Marek)という女性だった。彼女は二児の母親たったが、離婚によって二人の子供を強引に夫に連れ去られてしまう。親権は彼女にあったので、警察や支援者たちとの子供を捜すのが、わからない。二年後、突然長男サムエル(10)の訃報が届く。サムエルは川で溺れている子供を助けようとして自分も溺死してしまったのだ。彼女はその悲しみを詩に書いた。この詩は一九八九年に発表されたが、その十五年後(二〇〇四年)、作者はガンによって六十四歳で亡くなる。この詩を翻訳した佐川睦(さがわむつみ)さんも、姉が脳の細胞が徐々に機能を失う難病で亡くなり、その想いから翻訳したという。
なぜか今回の新曲は「死」や「今を生きる」や「残された者の気持」などをテーマにしたものが多い。無意識のうちにそのようなメッセージが集まってくるのか、死者たちが「これを歌にしろ」と催促してるのか。オレ自身、祖父母や両親、親友や仲間たちなど、たくさんの死をくぐってきた。病死にしろ、事故死にしろ、自殺にしろ、死者たちのメッセージは変わらない。「生きろ!」ということだ。さらにいつ死が訪れても後悔しないように、「全力で今を生きろ!」と言っているようだ。ノーマの詩にインスパイアされ、自分の言葉で歌にした。ボサノバっぽいマイナーバラードのメロディーにばっちりはまったのよ。
スリランカ、60日間の滞在ではじめての大雨だ。海も荒れている。もちろん誰も泳いでる者はいない。「うひょー、ピンチはチャーンス!」みんな「アホかこいつは?」という目で見てたが、完全貸切のプライベートビーチじゃん。ザッブンザブン、波にもまれるが、それがむっちゃ楽しい。「地球が遊んでくれてる」って喜びを全身で感じる。波も人生も浮き沈みが激しい方が楽しい。だって悲しみを知らなけりゃ、なにが楽しいのかわかんないじゃん。平穏無事な人生なんて一億円積まれても断るわ。
雨上がりの虹のまた美しいこと。ハワイのことわざで、「No rain no rainbow」ちゅーのがある。「雨が降らなきゃ、虹もでない」って意味だな。
そういやあオレがジャンキー時代に書いたノートにこんなフレーズがあった。
「体が汚れるほど、魂が綺麗になる。天国に行きたけりゃ、地獄への階段を降りていくのが近道だ」
チョーノリノリのアップテンポの新曲。
7. あぎじゃびよー
これは沖縄の言葉で、たまげた(魂消げた)とか、びっくりしたときに叫ぶ。沖縄では、交通事故とか、知人が死ぬとか、氷枕をおでこにのせて寝たらイカだったとか、驚くとマブイ(魂)を落とすといわれ、マブイ込めをしなければならない。「まぶやーうーてぃこいよー」(魂よ追ってこい)と呪文をとなえる。もしかすると現代人はマブイを落としてるのかもしれないので、マブイ込めの歌をつくった。みんなでヨーデルを合唱しながらわいわい騒げるチョーハッピーソングだ。
8. Being you
「あなたのままでいてくれて、ありがとう」という意味だ。世の中、セミナーやコーチングブームで、たくさんの人が夢を実現させようとか、自分を変えようと努力している。それ自体は悪くないが、逆に「セミナー難民」やかえって落ち込んでしまう人も増えている。なぜ自分を変えることができないか?それは自分を否定しているからである。意識を変えるにはプロセスがあって、まず自分を100%受け入れることができなければ、つぎに進めないのよ。そんなときは、「夢や希望なんて捨てちまえ」とオレは言う。「無様で、無力で、かっこ悪くて、意志が弱くて、うそつきで、人に迷惑ばかりかけていて、何の役にも立たない、そんな自分をありのまま抱きしめてあげなさい」と。自分自身と、今きみの目の前にいる人にせいいっぱい愛情をそそぐことだ。つねになにかを要求し、愛をもらえないから、愛を返さないじゃなく、その人がただ存在してくれることに感謝する。そこに気づいたときからきみの世界は変わりはじめる。
「なんだ、これ、アキラさんとちがう声がはいってる!」
アレンジャー隆介が何度もその部分を聞き返す。
「Being you」のラストにある「あ~」というところで、ソプラノみたいなコーラスが録音されていたのだ。
このままの録音で発売されるので、みんなも聞いてみて。
「ピエロさんのコーラス」がはいってるから。
9. 鳴りやまぬぼくの歌
誰もが「鳴りやまぬ歌」をもっている。それは一生の間、きみの心の中に流れつづける「通底音」であり、その人の生き方のベースになっている普遍的無意識とも言える。またはその人についている祖先や死んだ家族やトゥレンカムイ(守護霊)、魂やサムシンググレート(大いなる存在=おかげ様、神)の声かもしれない。呼び方はなんでもいいが、その声はあらゆる場面できみの一生を左右する。一日の中にも無数の選択があり、その声によってきみはいつも何かを選んでいる。そして必要な人に会い、必要な出来事が起こり、きみの人生とキャラをつくりあげる。まあ、いやでも一生つきまとうカウンセラーみたいなもんだ。オレのカウンセラーはドアホウ級の楽天家で、決め台詞はこれだ。「生きることは喜び以外のなにものでもない」これにそそのかれて、オレは危ないとこばっかいき、危ない目に会い、それでも奇跡的に助けられるという人生を送ってきた。それはこいつに対して絶対の信頼があるからだ。親や先生やコメンテーターや学者やキリストや仏陀がなんと言おうと、オレはこいつの言葉をはらわたの底から信じている。 「生きることは喜び以外のなにものでもない」たしかに人生ではつらいことや悲しいこと、挫折や失敗のほうが多いだろう。しかしつらいことや悲しいことや挫折や失敗も、オレにとっては喜びなんだ。だから留置場にぶちこまれようと、自殺しようと、目の前10センチで母の死を看取ろうと、自分がガンで余命宣告されようと、揺るがない。むしろつらいときこそ、この歌が聴こえてくる。
※この歌だけはフィリピンのボラカイでつくったんだけど、神様のGOサインがでなかった。歌詞をリニューアルし、メロディーを微調整したらすばらしい歌になった。ガンガンのアップテンポで元気にしてくれる歌だ。
10. ママのスケッチブック
カメラがそんなに普及していない時代に主人公の女性は生まれた。とても優しいお母さんはカメラがなかったから12色のクレパスで愛する自分の赤ちゃんを描く。だがお母さんはデッサンの訓練を受けているわけではないし超ヘタな絵だ。それでも可愛くて可愛くてしょうがないから我が子の絵を描き続ける。その子が成長して中学生くらいになると、友達が遊びに来てそのスケッチブックを見つけてしまう。スケッチブックをみられた思春期の本人は、こんなヘタな絵で自分が描かれているのが超恥ずかしくて、お母さんの大切な宝物であるスケッチブックを破り捨ててしまう。数十年の月日が経ち、お母さんが亡くなり、スケッチブックを破り捨てたことも忘れていた主人公はひとつひとつ丁寧にテープで繋ぎ合わされたスケッチブックをタンスの奥から見つけ出す。
どんな人も今、お母さんとケンカをしている人でも、生まれたときには「幸せになれ!幸せになれ!」と愛されて愛されて生まれてきたことを思い出してほしい。
11. 千年桜
演歌で千本桜という歌があり、よくまちがわれるがこれは千年桜である。年老いた母親を介護する娘の歌だ。
日本は世界でもっとも高齢化率の高い国で、現在65歳以上の人は4人に1人、3000万人を超える。2025年には75歳以上のお年寄りが2千万人を超え、病院のベッドがない。看取り士くんちゃん(柴田久美子さん)が言うように、自宅で家族が看取るのが最良の方法だ。赤ちゃんのころの自分に無償の愛で尽くしてくれた親に、恩返しできる最後のチャンスだ。それは心に永遠に消えない宝物を残してくれる。
母親は我が子がよちよち歩きをできるようになるまで手をひいてあげたり、おしめの世話をしたり、ごはんを食べさせてあげたり、徹底的に我が子の世話をし無償の愛をつくす。月日が経ち、自分は成長し母親が年老いていく。今度は逆に自分が母親にしてもらったものを恩返しする番となる。お母さんがこぼしたごはんをひろってあげたり、おむつをするようになったときには下の世話をするかもしれない。
「人生のはじまりにお母さんが寄り添ってくれたから、今度はお母さんの人生のおわりに自分が寄り添いましょう」
そうやって、まるで子どもの面倒をみるように自分のお母さんの世話をする日がくるかもしれない。だけどそれはもともと自分がもらったものだ。
どんな運命にも凛と向き合うこと。どんなにつらい試練にも微笑むこと。
それをその人がお母さんと同じ人生をくぐることによって学んでいくだろう。お母さんがたどった人生は必ず子どもも通るみち。人はだれでも年老いる。そしていつかは死ぬときがやってくる。今、お母さんに起こっていることは自分の人生にも起こることなんだと気付けば、自分が受け取ったものをお母さんやお父さんにかえすということが、感謝をもってできるかもしれない。さくらが美しく散り、季節がめぐるたびにつぼみをつけ、また満開になり、また散っていく。人間も大きな自然のサイクルの中のひとつの流れを生きている。母から子へ、子からまたその子へ、たくさんの大切なことが受け継がれていくのだろう。
12. Something great
この曲のデモ音源が出来たとき、オレは西ヨーロッパにあるスロベニアのブレッド湖にいた。
夢のようにとても美しい湖でボートをこぎながら、出来たてのSomething greatを聴いていたらオレは号泣が止まらなくなった。誰もいない湖で「うわぁー!」と大声で叫びながら号泣した。自分をとりかこむ自然のなかで、この世界はなんて美しいのだろうという喜びと、自分はその世界の一部なんだという喜びを感じた。
「Something great」というのは「なにか偉大なるもの」という意味だ。たとえばインディアンたちは「great spirit」と英語で言うし、ラコタ族は「ワカンタンカ」、アルゴンキン族は「マニトゥ」などいろんな呼び方がある。日本語でもすっごいピッタリの言葉がある。それは「おかげさま」という言葉だ。「影」のくせに「様」がついているからよっぽど偉い奴なんだろな。自分がなにかで成功したとしても、それはもっと大きな力が背後に流れていて、自分を成功に導いてくれたのだ。その大きな力が動いてるからこそ自分は生かされているんだという考え方を、日本人はもともと伝統的にしてきていたのだ。だから「おかげさま」という言葉は、「Something great」や「great spirit」と同じような意味なんじゃないかと思う。この歌を聴くとあまりにも壮大な宇宙観に魂が震え、とてつもない喜びが突き上げてくる。自分が生きている世界が愛しくて愛しくてしょうがなくなる。そしてその世界という巨大な織物を織っている一本の糸が自分だということに気付くことによって、「すべては繋がっている」と心の中からパワーが湧いてくる。今生きている人たち全員も大いなるなにかに守られている。そして雲も太陽も山も川も花も虫も動物も、みんなちがう形や皮をかぶった別物のように見えるが、
じつはオレたちは、「ひとつの命」を生きているんだ。
それが神の本質だ。
ライフシアター
2014年12月リリース。12曲。2500円。